【前向き離婚のすすめ】相手を恨むより先へ進もう

ここ最近、勉強も兼ねて「離婚」ってキーワードで検索かけたりすることが多いのですが、病んでる投稿をよく見かけます。笑
具体的にはこんな感じです。

  • あいつを選んだのは人生最大の失敗だった
  • 家事をまったくしないやつだった
  • 婚姻費用は逆差別だ!世の中おかしい

一時的に気持ちが落ちるのは、理解できます。わたしも当時は、目も当てられない状況でした。しかし、それを踏まえた上で一つずつ反論していきます。

相手を恨んでる時間はない

まず、相手がいることに対して“失敗”という言葉を使っても、自分の首を絞めるだけでまったく意味のないことだと思います。
こうやって失敗したと思っているパートナーだった方が「あぁ、わたし(オレ)が間違ってた。申し訳ないことをした。」と思っている可能性は低いのではないかと思います。
おそらくそのパートナーも、同じ様な憤りを感じているのではないでしょうか。そして「あいつを選んだ」って書いてある通り、その相手を選んだのは紛れもなく文句を言ってるその人自身なんですよ。つまり自分で自分の首を絞めているんです。結局何が言いたいかというと、お互い様だよねってことです。

こうやって相手を罵っている時点で、時間の無駄だと思いませんか?
すでに“人生最大の失敗”と決めつけて自分自身さえも否定しちゃっています。(本当に人生最大の失敗だったかどうかなんて、一生が終わってみないと分かりません)その人生最大の失敗(仮)をもたらしたパートナーとは、結婚期間と恋愛期間を含めて大切な時間を結構割いていることになります。おそらく最低でも、数年は経っているのではないでしょうか。そんなパートナーを、これ以上憎悪の対象にして時間を使う気ですか?それよりもこの経験をバネに、残りの人生を楽しく過ごした方がいいと思います。

家事をまったくしない

これって、男性より女性が責められやすいことですよね。
発達障害における脳の障害などによって、本当に家事ができない人というのはいます。
ただそうでないというのなら、これは、やってくれている相手に甘えているだけのことです。
これは男女問わず、パートナーがやってほしいとお願いしても聞き入れてくれないなら、残念ながらあなたへの思いやり、配慮はなくなっているのでしょう。そのパートナーにとってはどうでもいいことなのだと思います。まずは話し合ってみます。しかしそれでもダメで、自分だけ家事をやり続けることがどうしても辛く、不公平を感じるのなら、それを別れの理由としても仕方ないと思います。他人を変えることはできませんから。

婚姻費用は、収入の多い方が少ない方へ払うもの

離婚をする前の夫婦には、同じ生活レベルで暮らせるようにお互いに助け合う「生活保持義務」があります。そのため離婚する前に別居していた期間がある場合、その間の生活費を収入が多い方が、少ない人へ払うことになります。夫の方が収入が多ければ、妻に対して婚姻費用を払わなけばなりません。その逆で、妻の方が収入が多ければ、夫に対して婚姻費用を払います。投稿にあったように、よく夫側が妻に対して婚姻費用を払う際に、逆差別だと批判することがありますが、収入が多い方が少ない方に払うだけなので、なんら差別ではないと思います。

この経験を、無駄にしてはいけない

わたしは自分自身、離婚経験があります。そして、離婚してしばらく経ちますが、残念ながら離婚歴って人生にはマイナスになる面があります。
新たに知り合った人に、離婚歴はなるべく隠す人が多いのではないでしょうか。(わたしはそうしています)なぜなら、運良く自分の印象にマイナスにならなかったとしても、プラスには働かないと思うからです。(男性だとまた違うんでしょうか。一度聞いてみたいものです)
ただ、人生の経験としては、プラスに働きます。というか、プラスにしなければダメです。経験から学ぶのが、人間だと思うからです。
つまり、この経験を一つもムダにしてはならない状態で、もう別れた(または別れると決めた)相手を批判することに時間を費やすことが本当に建設的なことなのか、もう一度よく考えてほしいということです。

別れるのなら

日本では未だに結婚がすべてっていう価値観が残ってるところがありますが、そう遠くない未来では、結婚は数ある選択肢の一つになっていくんじゃないかなと、わたしは思ってます。これはもちろん好きな人と一緒になることを、否定するわけではありません。ただ結婚の制度以外でパートナーの権利が保証されれば、わざわざ結婚という形を取らなくてもいいという場合が増えるんじゃないかなと思います。(はあちゅうさんも事実婚されましたよね)
ただ、結婚するにしても、パートナーに終始するにしても、人間同士の付き合いなのでお別れする可能性はありますよね。もし残念ながらお別れする日が来たとしても、別れたパートナーの幸せを祈れるくらいの人間になりたいな、という自戒の念を込めた話でした。